HOME > 園長のことば
折々に思うこと その20
私のコラムも今回で20回目を迎えることになりました。ひと月に1回というと余裕十分のようですが、締め切りが迫ってきますと結構プレッシャーを感じます。
でも、「読んでますよ!」という声を頂戴すると、また意欲が湧いてきます。
読んでくださる方の肩が凝らないものを、といつも念じておりますが。
今回は、「つくば言語技術研究所」というところで、言葉のはたらきや効果につい研究をされている 三森(さんもり) ゆりか さんという方が紹介されている、ある本の一節を取り上げさせてください。
その本の著者は、日本サッカー協会の会長を務められた田嶋 幸三 さんという方で、タイトルは「『言語技術』が日本のサッカー界を変える」(光文社新書)というものです。
以下、三森 さんが注目されている部分を引用させていただきます。
まず、本の内容を要約しますと、ヨーロッパのサッカーチームが強いのは、ゲームを論理的につくりあげているからで、日本のサッカー指導者の養成にも「言語技術」を必須の要件として取り入れている、という内容です。
田嶋氏は、日本サッカー界の若い指導者の育成に力を尽くしておられる方です。
その中で、田嶋氏は「ゲーム・フリーズ」という、ドイツなどで行われている練習方法を紹介しています(フリーズとは凍る、とか固まるという意味)。
ゲームの途中、だれかがパスミスをした時点で、全員フリーズして(動きを止めて)、なぜそこにパスを出したのかと、コーチがパスを出した選手A君に問います。
それに対して、A君は「自分がボールをそこに出せば、足の速いB君がそこに走り込み、ボールがつながっていくと思ったからです」と説明します。
すると、コーチは、今度は、B君に「君はなぜそこ(A君がパスを出したところ)に走り込まなかったのか」と問います。
B君は、「相手チームのそちらへのガードが厳しく、かえって逆サイドの方がガードが甘いと考えたからです」と答えるというものです。
つまり、A・B2人の選手の言葉のやりとりを、参加している選手全員が聴くということによって、A君がボールをパスしたねらいと、それに対するB君の動きを理解するという「言語のコミュニケーション」が行われ、チームの力量は一段と高くなると、田嶋氏は考えているわけです。
選手達が何を考えてプレーしていたかを1つ1つ振り返って、当の選手がそれを言語化することによって、他の選手は当の選手の意図を理解し、その展開を成功させるために必要な、自分の行動を意識、実行することになります。
1つ1つのプレーが意味のある動きとなっていくというものです。
これは、予め決まった役割を果たすというよりも、ボールの動きだけではなく、相手選手と自軍の選手の動きという、ゲーム全体の流れを読み取って、自分がどう動くかを瞬時に判断して、しかも自分がなぜそう動いたかを味方の選手に理解させながらゲームをつくっていくという、たいへん高度なゲーム展開を身につけさせることになります。
その最初の一歩が「話さなければ分からない」、「伝えなければ通じない」、「話すからには相手が一発で納得できるような説明力を身に付けよ」と、『他者とのコミュニケーション』を位置づけているのです。
これは、サッカーに限らず、他のスポーツでも、私達の仕事の場でも、その通りだと思います。
先月の12日(土)には、本園では「運動会」がありました。開始前に、職員さん方を集めて、私はこう言いました。
「いよいよ本番です。本園の運動会のいいところは、予定している種目が次々にテンポよく進んでいくところです。
種目と種目の間が間延びすることがほとんどありません。
でも種目の担当者として『あれはちゃんと準備してもらってるかな?』とふと不安になることがあるかもしれません。
そんな時は遠慮せず必ず言葉で伝え合い、確認をとりましょう」
今年も、職員相互のみごとな連携プレーで、お昼までの実施ながらも、中身の濃い運動会ができました。
園長としてとても嬉しく思いました。
今日はこのあたりで失礼します。
折々に思うこと その19
厳しかった残暑も一息ついたというところでしょうか。
朝晩の涼しさにほっとします。
夜のしじまから聞こえてくる虫達のすだく音も、秋の訪れを感じさせます。皆さん、酷暑が続いた夏の疲れはとれましたか。
2学期が始まって早1か月が過ぎました。
「実りの秋」を期して、園の活動も少しずつ軌道に乗ってきたところです。
先月の11日には、「敬老の日」を前に、年中さんと年長さんたちが、自分達のおじいちゃん、おばあちゃん宛に書いたお便りを近くのポストまで投函に行きました。
年中さんは、ハガキにフィンガーペインティングで模様を描き、言葉を添えました。
ハガキの文面をちょっと覗くと「いつもありがとう、だいすきだよ」、「おじいちゃん、おばあちゃん、おげんきでね」などなど。
年長さんは、封書で、中にお手紙と手作りのしおりを入れました。
遠くは、宮城県に出している子もいました。
投函から5日ほど経って、私宛に、ある年長さんのお祖母ちゃんからお手紙が届きました。
中身を紹介させていただきます。
『暑い日が続いております。9月13日に幼稚園から孫の手紙が届きました。心のこもった写真付きのしおりやお便り等、すばらしい教育活動をしていただいている様子がよく分かりました。2人の孫がお世話になり、立派な園教育に感謝しております。ありがとうございます』
かわいいお孫さんのお手紙に感激されて、すぐに筆を執られたのでしょう。
年中さん、年長さん合わせて約60通のお便りが、至るところで、おじいちゃん、おばあちゃんの心を温かくしてくれたことと思います。
5年前から始めたこの活動、これからもできるだけ続けていきたいと思います。
以前にも書いたと思いますが、我が園では10月の下旬に芋掘りを行っています。
そのために、5月から順次、園から少し離れた所にある畑を耕し、肥料をやり、畝(うね)を作って、苗を植え、雑草を取りながら成長を見守ります。
真夏の雑草取りは本当にたいへんです。
6月の初旬に苗を植えましたが、その際20本ほど苗が余りました。
捨てるのももったいないと思い、私は余った苗をわが家へ持ち帰りました。
さてどうしたものか?じゃあ我が家で育ててみるか。
しかし我が家の「猫の額」ほどの庭には、苗を植えるスペースなどありません。
そこで、近くのホームセンターに出かけ、大きめのプランターを3個、腐葉土も3袋買って、即席の芋畑を作りました。
プランターに腐葉土を敷き詰め、持ち帰った苗を植えて、上から水をまきました。
初めての経験です。
「さて、育つかな」。できることは、毎日たっぷり水をやることだけです。
やがて苗は大きく育ち、青々と葉を茂らせましたが、8月の終わり頃、あまりの暑さのせいでしょうか、緑色だった葉が黄色くなりかけています。
これはいかんと、プランターを、午後は日陰になる場所に移し、肥料をやり、朝夕欠かさず水やりをして、様子を見守りました。
その結果、2週間ほどすると、葉は濃い緑色を取り戻し、今が盛りと生い茂っています。
芋づくりのベテランである理事長さんからは「野菜作りは、毎年工夫・改良の連続ですよ」と指導をいただいています。
野菜作りをすると、育ちゆく野菜が本当にいとおしくなると聞いたことがありますが、今、その気持ちを少し味わっています。
10月の終わりにどのくらい大きくなったお芋が採れるのか楽しみに待ちたいと思います。
我が園の子ども達も、即席の芋畑で生い茂っている目の前の葉のように、長い2学期を通して成長してもらいたいと願います。
今日はこのあたりで失礼します。
折々に思うこと その18
今年も暑い夏でしたね。
最近は、テレビのニュースでの気象情報の際、気象予報士さんが「厳しい暑さが当分続きます。
エアコンは朝までつけっ放しにしてお過ごしください」と言われたのを聞いて、『ここまできたか!』と思いました。
夏の風物詩と言われる「全国高等学校野球選手権大会(通称甲子園大会)」でも運営の仕組みに変化が現れています。
まず、大会1日目~3日目までは、試行として午前中と夕方に分けて試合が行われました。
酷暑の中での試合は避けるということでしょう。
5回が終了したら「クーリングタイム」なるもの(10分間)を設けて、ベンチ裏で水分をとりながら休息する。
9回が終わっても決着がつかない場合は、10回からはお互いに早く点数が入るように無死1・2塁から両チームとも攻撃を始める(タイブレーク制)等々。熱中症等から選手たちを守るための措置でしょう。
中には、甲子園で開催するのではなく、日差しを避け、エアコンの効いたドーム球場で開催したらどうかという意見もあったそうですが、これについては当の球児達から反対の声が上がりそうに思います。
今年もテレビ観戦をよくしましたが、試合中に気分が悪くなったり、足がつって倒れこんだりした選手を何人も見ました。
熱い心意気で取り組む夏の高校野球。
地球環境の変化にどう対応していったらいいのでしょうか。
さて、夏休みは先生たちにとっては充電期間です。
学期をじっくり振り返ったり、研修に打ち込んだり、行事の多い2学期の準備をしたりするときになります。
有給休暇も有効に取得しなさいと言っています。
そのようにしているようです。
私も、この夏、県や市の幼稚園協会が主催する研修会に3回ほど参加しましたが、その中から去る8月23日(金)に行われた研修会について報告したいと思います。
「研修」という言葉は、「研究」の『研』と「修養」の『修』を組み合わせた言葉です。
「研究」とは、幼稚園教諭としての知識と指導技術を身につけるためのもの、「修養」とは、社会人としての幅広い教養を養うためのものであり、どちらも職業人として重要であると私は思っています。
今回の研修会は、講師に読売新聞東京本社の編集委員である二階堂さんという方を招聘し、「現代に生きる私たちは、ネット上に溢れる種々雑多な情報とどう向き合うか、新聞との比較で考える」というテーマで各幼稚園の主任の先生方を対象に実施しました。
講師の二階堂さんは、実は私が中学校の教員をしていた時の教え子さんです。
担任をしたり、授業で教えたりということはなく、私が顧問をしていた野球部の選手でした。
ポジションはチームの要であるキャッチャー、チームをまとめるキャプテン、そして攻撃の核である4番打者として存在感を放ちました。
学業成績も群を抜いてよく、高校卒業後、都心の大学に進学し、その後読売新聞に入って、現在まで社の主力記者として活躍中です。
数年に一度、彼が来崎したり、私が出張等で上京したりする折に会って、酒を飲みながら歓談する間柄でしたが、私からの要請を快諾してくれ、8年ぶりに長崎まで来てくれました。
講演はもちろん私も拝聴しましたが、後で本人に聞くと、「どうも先生の視線が気になっていました」と言っていました。
中学時代に有無を言わさず、しごきにしごかれた先生というのは年をとってもそんなものなのでしょうかね。
以下、講演の要点を列挙します。
〈新聞記事の作られ方〉
〇 基本的にできるだけ「人」に会う。情報を持っているのはやはり「人」である。
〇 記事に関係する事実関係やデータなどは、官公庁の統計や大手シンクタンクの信頼できる調査などで必ず確認する(ウラをとる)。
〇 記者が書いた原稿はデスク(上司)、校閲が必ずチェックする。
〈ネット情報の特徴〉
〇 いつもほぼリアルタイムで最新情報を手元で確認できる。
〇 事件やできごとを自分の興味・関心で追いかけてしまう傾向にある。
〇 できるだけ多くの注目を集めようという意図で情報が作成されることが多い。
〇 ついつい発信者と似たような考え方にとらわれやすくなる。
〇 生成AIの登場によって情報がより簡単に作れるようになった。
〈ネット情報に惑わされないために〉
〇 情報源の記載があるかどうかを確認すること。
〇 情報の発信者が信頼できる人かどうかを確認すること。
〇 私たちはだまされやすく、偏りやすいという自覚を持つこと。
〇 一度立ち止まって考えること。
終了後は、会場から歩いて数分の肴のおいしい居酒屋にて2人で慰労会をし、怪気炎を上げました。
酒で更に滑らかになった彼の口から出た言葉の数々に学ぶことも多かったです。
またの再会を約束して、翌日、彼は東京へ帰っていきました。
折々に思うこと その17
先月の19日(金)に第1学期の終業式を行いました。
まだ少し肌寒い日もあった4月初旬から、うだるような暑さの7月下旬までの約4か月、集団生活を通して、クラスや園にも慣れ、少しずつ成長を感じさせた子ども達でした。
自由あそびの中で「仲間に入れて!」に対して「いいよ!」が返せるようになった年少さん達、先生のお話を最後まで体操座りで静かに聞けるようになった年中さん達、グループ活動で意見交換ができるまでになった年長さん達、個々の差はありますが、給食も目標の時間内で多くの子が食べられるようになりました。
七夕の短冊にも「ブロッコリーが食べられるようになりますように」と綴った子どもも。
終業式の翌日、20日(土)、21日(日)の2日間、年長さん達を対象に「お泊まり保育」を実施しました。
これは、寝食を共にして子ども達同士や先生達との親睦を更に深めることと、親元を離れて2日間生活することを通して自立心の芽生えを育むことをねらいとしたものです。
20日は午後から登園し、オリエンテーション、国旗・園旗掲揚、カレー作り、スカイ割り、夜の集い(花火観賞)、夕食、シャワー等の活動をこなしていきます。
活動前には不安を訴える子どもも数人いましたが、始まってしまうと、覚悟が定まったのか、普段にも増して生き生きと活動ができていました。
この体験を糧にして、来る2学期は、続く大きな行事でお手本になってもらいたいと思います。
さて、夏休みに入って既に10日以上が過ぎました。
それぞれのご家庭ではどのよな家族模様が繰り広げられているでしょうか。
終業式で子ども達に話したことが実行されているか、観察していただけると有難いです。
① いつものように寝て、いつものように起きましょう。
② 朝・昼・晩の3度の食事をしっかりとりましょう。
③ 1日に1度は太陽の下で汗をかきましょう。
この3つのことができたら、きっと、長い夏休みも健康に過ごせると思います。
子ども達は声をそろえて、私の話に「はーい!」と返しましたので、時折チェックをお願いします。
心身ともにたくましく成長するための基本となることです。
先日、県の幼稚園協会の研修に先生達と参加しました。
午後の講演で心療内科の先生から、「ストローク」という言葉を教わりました。
これは、分かりやすく言うと『ある人の存在や価値を認めるための言葉』というような意味だそうです。
以下のようなものがそれにあたります。よければ実践をされてみてください。
〇ほめる 〇励ます 〇誘う 〇ねぎらう 〇お礼を言う
〇感謝を伝える 〇賛成する 〇許す 〇親の間違いを謝る 等。
折々に思うこと その16
うっとうしい日が続きます。子ども達も外遊びがなかなかできず、室内遊びで代替していますが、うっぷんは相当溜まっているようです。
先生達もアイディアを凝らし、梅雨明けまでの毎日の天気を予想させてカレンダーに書き込ませ(明日は晴れか、曇りか、雨か)、当たる確率を競わせたり、アジサイのちぎり絵を作らせたり、天から落ちてくる雨粒を折り紙でそれらしく作らせたり、はたまた、紙にマーカーで描いた図案を降ってくる雨にさらしてにじみ絵を作らせたりなど、逆転の発想で梅雨の時季をそれなりに楽しんでいます。
長雨も早くあがってほしいとは思いますが、あがればいよいよ灼熱の太陽が待っていますよね……。
私は、中学校に勤めていたころから、本や新聞に「これはいい文章だ!いい表現だ!」というものを見つけたら、コピーしたり、切り抜いたりしてノートに貼り、時折読み返して、心を豊かにしたり、気を引き締めたりしています。
そのノートはこれまでに20冊ほども溜まっているでしょうか。
今回はその中からいくつかを紹介します。
まず、「私のお母さん」という詩です。これは、NCC長崎文化放送が主催している、子ども達が家族への思いを詩で表現する「お母さんの詩コンクール」で最優秀賞に選ばれた作品です(平成29年度のもの)。
書いたのは、当時長崎市立畝刈(あぜかり)小学校4年生の女の子です。
とても目立つ。 お友達のお母さんはきれいなかっこう。
私は少しはずかしい時があった。
お母さんが学校に来るときは、作業着を着てこないでとやくそくしていた。
お母さんの会社に行くことがあった。
お母さんは重そうな荷物を大きいトラックから降ろすためにフォークリフトという機械に乗って荷物を降ろしていた。
私と妹が車の中で見ていてびっくりしているとお母さんの会社のお兄さんが私達のところに来て「お母さんすごかろう。
会社の中でもフォークリフトに乗れる人、何人かしかおらんとばい」と言った。
お母さんの作業着をはずかしいと思ったことをこうかいした。
「お母さん、ごめんね」と、心の中で思った。
私のお母さんは、恥ずかしくないし、かっこいいです。
じっくり余韻を味わってください………。
もう1つ紹介します。
次の作品は、長崎新聞に掲載されていた読者からの投稿の欄で見つけたものです(平成27年のもの)。
書き手は長崎市内に在住の当時72歳のH子さんです。
先日あったバスの中のできごとです。
座席はたくさん空いているのに、1人掛けの席に中学生ぐらいの娘さんが座って、その横に母親らしき人が立っていました。
母親はスマホをやっていて、私はバスが揺れる度に「座って、座って」と心の中で思っていました。
見かねた運転手さんが「立ってスマホをやっている女性の方、危ないからつかまってください」と注意しました。
しかし、その母親は知らぬふりをしていました。
明らかに聞こえているのにスマホの操作をやめませんでした。
しばらくして運転手さんは再度こう言いました。
「お母さん、娘さんと替わって、座ってスマホしてください」運転手さんの注意の仕方は最高でした。
乗り合わせていたみんながうなずいたように見えました。
しかし、それでも母親は最後まで知らんぷりでした。
娘さんはモジモジして恥ずかしそうに下を向いていました。
これこそ反面教師ですよね。
運転手さんの怒りを抑えた注意の仕方は勉強になりました。
お母さん、子どもの手本になってくださいね。
次からは。
ある日乗ったバスの中での一風景。
どこでも見られるような一コマです。
公共の施設や乗り物の中での身の処し方は、皆さん、それぞれ気を使われることが多々あると思いますが、少なくとも周囲に迷惑をかけたり、不快な思いをさせたりしてはならないというのは常識をわきまえた人の考えですよね。
運転手さんの注意を無視し続けたこのお母さん、娘さんにこれからどんな人としての指南をされるのでしょうか。
どうでしたか。
私の心に残った2編の作品、皆さんの心にも何かを届けたでしょうか。
よければ、こんな形で時々園長の心に響いた詩や文章をお伝えしてもいいでしょうか。
今日はこれで失礼します。
折々に思うこと その15
去る6月3日(日)は、鳴鼓幼稚園のある時津町、そして私が住んでいるお隣の長与町で、年1回の「町民一斉清掃」がありました。
例年、6月の第一日曜日に実施されます。
私は、妻とともに地元長与町の清掃に参加しました。
朝8時30分から11時くらいまで、公園や側溝、道端や石垣の雑草やゴミの除去、切通しの両側から道に伸びている木の枝の伐採等が作業の対象になります。
私が、長崎市内から西彼杵郡の長与町に引っ越してきて35年ほどになりますが、中学校の教員として離島の対馬に赴任していた時を除いて毎年参加してきたと記憶しています。
この行事に参加して得るものがいくつかあります。
1つは、清掃後の地域が見違えるようにきれいになることです。
「さっぱりしたなあ」と、2か月ぶりに散髪を済ませて理容店を出た時と同じような感覚を覚えます。
35年も住んでいると、長与町は第2の故郷と言ってもいいと思いますが、「やはり、故郷はきれいに保ちたいものだ」という思いに浸ります。
もう1つ感じるのは、同じ地区に住んでいる人達との関係の見直しです。
私の住んでいる地区はバス道路から400メートルほどの坂道を登った所、戸数14戸の小さな地区です。
朝、ごみ出しで出会えば「おはようございます」、昼間、道ですれ違えば「こんにちは」と挨拶を交わします。
女性同士なら、しばらく立ち止まっての井戸端ならぬ道端会議が続くこともあるようですが。
でも今、地区の方々の普段の交流はそれぐらいではないでしょうか。
例えば、毎月1回、全戸数の住民が集まって、地区の抱えている問題について話し合いをしたり、地区でまとまって季節の行事をしたり(花見だとか盆踊りだとか)、そういうことはもうありません。
年1回の総出の地区清掃は、普段希薄になりつつある住民同士の関係を補完する大事な場だなと感じます。
結構な人数が出て清掃をしますので、手を動かしながら話の花が咲くのです。
「最近見なかったねえ」、「元気にしとった?」、「どこか体でも悪かったんじゃないの?」等々の、いわば雑談ですが、同じ地区の方々との会話が希薄になっている昨今、これは結構大事だなあと思うのです。
いろんな方とざっくばらんな会話(世間話)を交わすとなぜか心が柔らかくなります。「この作業に出てよかったなあ」と、終了後汗を拭きながら思うのです。
会話を交わすことは大事なんですね。
1年ぶりに話す人もたくさんいます。
その人達と改めて心が繋がったような気分になるのです。
地区の行事がほとんどない現在、この一斉清掃は大切にしようと思います。
今朝、バスで登園した園児達数人から、「後で保育室まで来てね!」と玄関先でお誘いを受けました。
たいへん嬉しいことです。
でも、その日は都合が悪く、2階の年長さん達の保育室まで行けませんでした。
降園の時、朝方、私を誘ってくれた園児達から「なぜ今日は来なかったの?明日来なかったら2億円だよ!」と脅されました。
大事な会話の約束(一方的な約束ではありましたが)を破った代償はとてつもなく高いようです。
明日は2階に上ろうと思います。失礼します。
折々に思うこと その14
新年度がスタートして1か月余りが過ぎました。
鳴鼓幼稚園でも、始業式、入園式、対面式(新入園児と在園児との)、父母の会総会・その後近くの公園までの親子遠足(通称「にこにこの日」)、子どもの日の集い等の行事が行われました。
これらの行事を実施するにあたっては、年間の行事計画で主担当者がそれぞれ決まっていますので、その主担当者が予め実施計画を作成し、職員会議で提案、審議して承認を受けた後、みんなが準備に動き出すという運びになります。
主担当者が職員会議で提案するのが「〇〇〇実施計画(案)」というもので、その内容は、通し番号順に、1に「目的」、2に「目標」、3に「実施期日」、4に「時程」……というように続いていきます。
今日は、この1の「目的」と2の「目標」について私の解釈をお話ししたいと思います。
あまり硬い話にならないように心がけます。
「目的」とは、「この行事は何のためにするのか」ということです。
「目標」とは、「この行事で子ども達に身につけさせたいことは何か」ということです。みなさん、お分かりのことと思います。
提案者には、この「目的」と「目標」を必ず書くように言っています。
「目的」と「目標」は似た言葉ですが、意味するところは上記のように少し違います。
以前、中学校にいた時分、全校集会で、中学生にその違いを次のように説明したことがあります。
『みなさんは、「目的」と「目標」の違いについて考えたことがありますか。
私も含め、あまり違いを意識せず、曖昧に使ってしまっている気もしますね。
今日はこの2つの言葉の違いについて一緒に考えてみましょう。
これから、3年生のA君と私の会話を例として紹介します。
よく聞いてください。
私: A君。君は最近よく勉強しているみたいだね。定期テストの成績も悪くない
君は一体何のために(目的)勉強しているのですか?
A君: はい。僕はできれば将来医者になって、医療に恵まれない地域の人達のを救ったり、けがや病気を治したりして、そこで無くてはならない存在になりたいと思っています。そのために、今、一生懸命に勉強しています。
私: それは素晴らしい志ですね。ところで、君の今の目標は何ですか?
A君: はい。僕の今の目標は、来年の高校入試で○○高等学校の理数科に合格し、そこで3年間しっかり勉強して、○○大学の医学部に合格することです。
私: よく分かりました。しっかり頑張ってください。』
この例話から言うと、「目的」とは、A君が目指したい最終的な、または究極のゴールであり、「目標」とは、そのために越えなければならない目の前の(身近な)ハードルということができるでしょう。
A君は、多くの人を救うために医者になりたいという目的を持ち、そのために、高校入試で○○高校の理数科に、その3年後に○○大学の医学部に合格するという目標を設定しているのです。
園児達が、計画された行事に進んで参加し、「ああ、楽しかった!またやりたい!」と言えば、おおむね行事としては成功でしょう。
しかし、指導者はその行事の中で、子ども達に、友達と協力したり、自分なりに方法を工夫したり、最後まであきらめずに取り組んだりする場面を意図的に仕組んで、「ああ、楽しかった!」とともに、協同性や自立性、粘り強さ、達成感等を身に付けさせたり、味わわせたりしたいと願っています。
そんな体験の積み重ねは、必ず子ども達の心の成長に繋がっていくと思うのです。「中身のある体験に勝るものなし」ですね。
忘れてはならない教育者としての心構えだと言えるでしょう。
ただ漫然と、「去年もやったから」という認識での行事の計画、行事が終わった後、「子ども達、喜んでやってたからこれでいいよね」という振り返りは、子ども達をあまり伸ばさないのではないかと思います。
幼稚園は学校です。学校ならば、「預かった子ども達を卒園までにこのような姿に育てたい」という、その幼稚園なりの教育目標があります。
その教育目標を達成するための日々の教育内容(行事や活動)はとても大切です。
5月以降の行事や諸活動にも、毎年やっていることだからではなく、常に新しい心で取り組みたいと思います。
硬い話になってしまったでしょうか。
失礼します。
折々に思うこと その13
あれよあれよという間に2024年度がスタートしました。
「春に三日の晴れなし」というように、今年は3月から4月にかけてよく雨が降りました。この原稿を書いている日も、前夜からかなり強い雨が降り、朝起きると、桜や桃の花がほぼ散ってしまっていました。
園長にとっては、この日は降らないでほしいと願う雨もありますが、自然に生きる草花や樹木にとっては、それぞれの雨が慈雨なのでしょう。
園庭を見ますと、花壇のチューリップが、これ以上はだめだというほど花びらを開いて、自分たちを主張しています。
控えめにそっと咲く花も風情があっていいものですが、チューリップのように精一杯自己主張する元気な花も、私たちに喜びを与えてくれます。
本園では、去る3月14日に39名の卒園児達が、修了証書を胸に抱き、爽やかに巣立っていきました。
現在は、保護者の皆さんの多くが3年保育を希望されます。
3年前は、朝、ママに連れられて登園しても、「部屋には入らない!」とか「ママがいい!」と玄関先で泣きじゃくっていた子ども達が、緊張する雰囲気の中で自分の名前を呼ばれると「はい!」と大きな声で返事をして、壇上で私から修了証書を受け取って自席に戻っていきます。
一連の動きにもメリハリがあります。
子ども達の、この立派な態度を見ますと、「3年間の歩みは大きいなあ」という感慨に浸ります。園長の醍醐味でしょうか。
卒園児の中に、この動きができるだろうかと心配したお子さんがいました。
いわゆる緊張しいで、衆目にさらされるのが大の苦手。
これまでの「誕生会」や「おゆうぎ会」でも、他の子に倣った動きがなかなか難しかったのです。
担任も卒園式の数日前から不安が募り、まず式の会場に入れなかったらどうしようか、返事ができなかったらどうしようか、壇上まで行けなかったらどうしようかとマイナス思考に入ってしまっていました。
私は、「当日は大丈夫。クラスの友達の凛々しい態度を見たら、自分も同じようにやらなくちゃと思うよ」と励ましました。
果たして、当日は堂々とした態度で証書を受け取ることができました。
担任と保護者さんの安心と喜びはひとしおのものがあったことと思います。
卒園おめでとう!
園長式辞の中で、私は次のようなはなむけの言葉を贈りました。
「さあ、みなさんは4月からいよいよ小学生です。新しい友達ができますね。早く仲良くなって、嬉しいことや楽しいことにたくさん出会ってください。そして、そうでないことにも時々出会ってください。そんな出会いが、みなさんの心を大きく、柔らかく、温かくしていってくれます」。
一歩世の中に足を踏み出す彼ら・彼女らに幸多かれと心から祈ります。
そして、新年度、4月9日には新たに40名の園児が入園してきました。
ママと手を繋いで神妙な顔をしての登園。
しばらくは、玄関先も賑わうことでしょう。
1年のスタートです。
いろんな出会いやハプニングに遭遇することを期待して、園長の醍醐味をまた味わわせてもらいたいと思っています。
今日はこのあたりで失礼します。
折々に思うこと その12
朝晩はまだ冷えますが、昼間はかなり暖かくなり、明るい陽光が射してきます。
あと3週間もすると、いよいよ「ソメイヨシノ」が開花する待ち望んだ季節になります。
我が家の庭の「紫(し)モクレン」は、もうかなり花を咲かせています。
「その1」で、我が家から「琴(こと)の尾(お)岳」に続く山道を黙々と清掃してくださっていたSさんのことをお話ししましたが、先日その道を登った際に、落ち葉や枯れ枝を掃いておられるSさんに偶然に出会いました。
「久しぶりですね!」「ええ。冬の間はお休みしていたものですから。
また始めたんですよ」。バンダナを巻いたSさんの顔は汗びっしょり。
「ありがとうございます」と一礼してその場を後にしました。
さて、前回、「その11」では「学校評価」について触れました。
ちょうど今年度の評価をまとめたところなので、保護者さん方(105名)にとったものの中から少しだけ紹介します(評価はA~Dの4段階評価。A評価がどれくらいあるかに注目しました)。
「職員は、一体となって子ども達の教育・保育に取り組んでいるように感じられますか」……A(87%)
「クラス担任の姿勢に好感が持てますか」……A(91%)
「自分の子どものよさが認められていると思いますか」……A(80%)
「保育施設の中で鳴鼓幼稚園を選んでよかったと思いますか」……A(89%)
園の経営や職員の姿勢については結構好評価を頂きました。
特に、担任の姿勢についての評価は嬉しい数値が出ました。
次年度はますます「信頼される鳴鼓幼稚園」を目指して励みたいと思っています。
さて、先日、ある大手新聞の紙面が私の目に留まりました。
1ページを割く大きな扱いでした。見出しは、
『九州の2050年人口 市町村96%で減 ―30年後の比較― 』
九州のほとんどの県・市で、2020年と比較して30年後には人口が激減しているという予想を述べたものです。
九州各県と九州内の全市町村の将来推計人口が一覧表にして載っています(人口数はおおよその数です)。
例えば、長崎市。2020年は41万人。
これが30年後には28万人に。
私の住んでいる長与町は4万800人から2万7,000人に。
本園のある時津町は、2万9,000人から2万1,500人に。
長崎県は、131万人から87万人になるというのです。
この人口推移の予想は、2020年の国勢調査を出発点に、将来の出生数や死亡数、転入・転出など過去の傾向を基にして算出されたもので、信頼度は高いようです。
驚くべき数字だと思いませんか。
九州の他の県・市・町も軒並み30%~40%の減少率です。
なぜこうなるのでしょうか?
考えるに、まず若者を中心とした県外への流出。
進学にせよ、就職にせよ、卒業後は多くの若者が長崎を離れ、しかも、一旦離れるとなかなか地元に戻ってこない。
2つ目に、出生数の減少。
今朝(2/28)の地方紙の新聞の第1面の大見出しは『2023年出生数 最少75万人!』。
なぜ生まれる赤ちゃんの数が減るのか?以下は、私の推測です。
……あまり結婚する気にならない(結婚後の親戚づきあい等何かと面倒くさい。1人の生活が気楽等)。
また、結婚しても子どもはつくらない。
つくっても1人。
なぜつくらないのか?…‥2人の生活を楽しみたい。
男女平等といっても、子育ての負担が女性に偏り過ぎている。
子どもをつくり、親子で、ある程度余裕をもって暮らしていける経済状態ではないし、これからもその状況が改善する(収入が安定的に増えていく)見込みはなさそうだ。
また、ここ3年ほどは、コロナ禍の中での出産・子育てには大きな不安があった。
3つ目に、高齢者の方々の死亡数が徐々に増えていく(長生きをしてもいつか人は死ぬ)。
いろいろ理由はあるにせよ、人が少ない、人がいないというのは、地区・地域、市・町・村、県・国の活力を削ぐ最も大きな原因です。
国の経済力も、人口の多寡にだいたい比例します(就業者人口の数やその人達が納める税金の額等)。
中・長期的に見て、ますます深刻になりそうな「人口減少問題」と、もうひとつの「地球温暖化の問題」。
今年は、寒い日も確かにありましたが、冬全体としては、やはり暖かかったですよね。
この2つは、今を生きる私たちがしっかりと考え、行動に移さなければならない課題です。
私にも、妙案はありませんが、大きな議論の渦にしていくべきことではないでしょうか。
失礼します。
折々に思うこと その11
新年から早1か月がたちました。
皆様、ご健勝にてお過ごしのことと思います。
今年は元日に北陸の能登半島で大地震があり、正月気分が一瞬で吹っ飛んでしまいました。
また、2日には、東京の羽田空港で、着陸する日航機と離陸する自衛隊機の衝突事故が発生し、その映像には肝をつぶしました。
自衛隊機の乗組員の5名の方の命が失われました。
能登半島地震でも、230名以上が亡くなられています。
ご冥福を心からお祈りいたします。
地球規模でも、国内でも前途多難な1年になりそうな気配はしますが、皆さん、力を合わせて明るく乗り切ってまいりましょう。
さて、今回は以前(「その8」あたりでしょうか)お知らせしていました「学校評価」について少しお話ししたいと思います。
本年度の「学校評価」を、保護者さんと本園の職員にとったばかりなので、ちょうどいいタイミングかと思います。
そもそも「学校評価」とは、その学校(幼稚園は学校なので含まれる)の経営の状況を、児童生徒・保護者・教職員・地域の住民等を対象にアンケート形式で尋ね、結果を次年度の経営に生かすというもので、学校教育法という法律で毎年実施することが義務付けられています。
本園では、毎年1月の終わりごろ実施しています。
今回は、[保護者さん対象]の評価について紹介します。
全部で20の項目について問いました。
前半の1~10までは本園の経営や職員の姿勢について。
11~20までは家庭における子育てについてです。保護者さんにはA、B、C、Dの4段階で評価してもらいます(Aが最も高く、Dが最も低い)。
前半(1~10)からいくつか紹介しましょう。
〇「職員は一体となって子ども達の保育に取り組んでいるように感じられますか」……本園の職員は心をひとつにして子ども達のお世話をしているつもりですが、それが保護者さんに伝わっているか。
〇「クラス担任の姿勢に好感が持てますか」……一人一人の子ども達を大事にしてクラス経営にあたる担任の姿勢が感じられるか。
〇「本園の広報活動(ホームページ・園便り・クラス便り・ブログ等)は、子ども達の園での生活の様子や必要な情報がよく分かるものになっていますか」……園からの情報がよく分かる、いわゆる開かれた幼稚園になっているかどうか。
〇「担任及びそれ以外の職員とも、気軽に話したり、相談できたりしていますか」……気軽に職員に子どもの様子を尋ねたり、職員と意見交換したりすることができる雰囲気があるか。
園の風通しはよいかということですね。
〇「お子さんは園のできごとを家庭でよく話しますか」……子どもが園での生活を楽しいと感じてくれていれば、必ず家庭で話題にするはずです。
後半(10~20)の例をいくつか挙げます。
〇「家庭ではバランスのとれた食生活ができていますか」……1日3度の食の充実は健やかな体をつくる土台です。
〇『なぜこうなるの?』、『どうしてなの?』といった素朴な疑問には丁寧に答えてもらっていますか」……幼児期において芽生える、自然界のいろいろな事象への興味・関心・疑問はその後の知育にとって極めて大事です。
「今は忙しいの。後で!」は禁句ですね。
〇「気分が乗ってくると、楽しそうに歌ったり、踊ったりすることがありますか」……幼児期からリズム感や表現力が芽生えることはいいことですよね。
また、子どもの心が解放されていることも大切です。
〇「家庭で絵本の読み聞かせをする時間は確保できていますか」……「読み聞かせ」は幼児の想像力を膨らませたり、思いやりの心や正義心を育てたりするのに格好の場です。
特に、お子さんが寝る前の読み聞かせは最高でしょう。
集約した結果(約100名分ほど)は、回答してくださった保護者さんにお返しするとともに、園の職員にも見せて、園やクラス経営の参考にしてもらうようにしています。
特に、「クラス担任の姿勢に好感がもてますか」の質問項目の結果には各担任は結構どきどきするのではないでしょうか。
「学校評価」は、法律で実施が義務づけられているから「やる」のではなく、よりよい園経営のために、子どもを預ける立場の意見も大いに参考にして、多くの視点で園のこれからを考えていくという本来の趣旨を大切にしたいものだと思います。
20項目の4段階評価に加えて、最後に「園や職員の教育姿勢について日頃思われることを忌憚なく述べてください」という文章記述欄も設けていますので、皆さん、結構本音で書かれるようです。
それもたいへん参考になります。
では今回はこれで失礼します。
折々に思うこと その10
新年明けましておめでとうございます。
令和の年号になり6回目、21世紀になり24回目の新しい年が始まりました。
本当に時が経つのは早いものです。
だって、昼間はもちろん、人が眠っている夜の間にも、刻々と「時」は休みなく刻まれているのですから。
「月日は百代の過客にして……」で始まる「奥の細道」の冒頭を思い出します。
私事で恐縮ですが、今回で70回目の新年を迎えました。
あと何回、健康な状態で新年を祝えられるのか。
自堕落を戒め、食や睡眠、そして飲酒(?)等、普段からの節制に留意して健康の保持に努めたいと思います。
そして、8日(月)は「成人の日」です。
今年も全国各地で、7日(日)か8日(月)に、各自治体主催の「成人のつどい」が催されることでしょう。
20歳になった、まだ世間の手垢のさほど付いていない初々しい若者達のこれからに、心からお祝いと励ましの気持ちを送りたいと思います。
ところで、最近の「成人のつどい」の有り様として、会の進行を、当事者である20歳の若者達が務めるやり方が広まってきているように思います。
私の住んでいる長与町でも、勤務地であるお隣の時津町でもそのやり方で行っているようです。
主催者側と協議しながら、進行役はもちろん、会の中身も新成人達の意向をなるべく反映するという、まあ「自分達で考え、行う自分達の会」でしょうか。
このような傾向はよろしいのではないかと思いますが、皆さんはどう思われますか。
そう言えば、最近は「荒れる成人式」の映像があまり、いや、ほとんどテレビの画面で流れなくなりましたね。
実施方法の工夫が少しは影響しているのでしょうか。
さて、少し話題を変えて、本園には毎年数名の教育実習生がやってきます。
年齢は20歳から21歳というところでしょうか。
いかにも若いです。期間は、2週間から3週間ほど。
実習初日は、日程のどこかで園長の講話を入れるようにお願いしています。
ねらいは、保育士としての実践体験をするにあたって、それなりの心構えを持ってもらうことです。
その中で、私は次のようなことを若者達に問います。
「あなたたちは20歳のとき『成人式(成人のつどい)』に参加したでしょう。
その際、来賓の方の祝辞もあったと思いますが、その中で、『よき社会人になってください』というフレーズを聞いたことと思います。
では、『よき社会人』とはどんな人のことを言うのでしょうか?」……私の問いに実習生は自分なりに考え回答します。
「あいさつがきちんとできる人」、「身なりが整っている人」、「常識のある人」、「大人らしい考えができる人」等々。
みんな正解の1つだと思います。最後に私の考えも添えます。
『よき社会人』とは、一言で言えば、『周囲から、この人は大丈夫だと思われる人』
そう思われるためには、例えば
〇 心身ともに健康であること
〇 明るい雰囲気を持っていること
〇 人の話がしっかり聞けること
〇 時間がきちんと守れること
〇 自分の言葉に責任を持てること
〇 周囲への感謝をいつも忘れないこと 等が必要だよと言います。
彼らが、大学での勉学や教育実習での貴重な体験、そして友との人間関係の学び等を経て保育士となり、キャリアを積み重ねていく中で、上述したような『周囲から大丈夫だと思われる』頼もしい社会人に育ってくれることを期待しています。
失礼します。
折々に思うこと その9
今回は、本園が「認定こども園」として一日どのように回っているのか、また、その中で園長はどう立ち回っているのか、少しお話ししましょう。
園の朝は、7時から始まります。
両親ともに就労しておられる家庭で、早いところは朝7時過ぎにはお子さんを預けに来られます。
本園は、最長、朝の7時から夜の7時までお子さんをお預かりしています。
そのために、7時には早出の職員が2人ほど園に待機してお子さんを待っています。
私は8時20分ごろ出勤します。
前日の「園日誌」を点検したり、その日に休みを取っている職員を確認したりして、一息ついた後、8時30分になったら理事長さんと玄関の入り口に立って登園してくる園児達を迎えます。
「〇〇君、おはよう。ママ、おはようございます」、「△△ちゃん、おはよう。パパ、おはようございます」。
親子にご挨拶です。
直接子どもさんや親御さんと挨拶を交わしたり、ちょっとした立ち話をしたりすることはとても大切なことだと、実際に立ってみて実感します。
私と挨拶を交わす親子の様子(挨拶時の声の調子や顔の表情、しぐさ等)を見ると、その家庭の最近の空気が読めることが多いのです。
「先日の運動会は、お子さん大活躍でしたね」、「芋掘りに行ったときの絵をいきいきと描いていましたよ」、「担任の先生の話によると、スイミング教室で顔を付けてバタ足をすることができたとか」等々、なるべくプラスの話を心がけています。
そんなときのママやパパの顔は最高です。
でも、時には、「お子さんのことで何か心配な事がありますか?」、子どもさんの少し冴えない表情を見ると、「お子さん、幼稚園が嫌だと言っていませんか?」、「昨日、おうちで何かありました?」とお尋ねすることもあります。
毎朝会っていると『今日はいつもとちょっと違うな』と感じることがあるのです。
そんな時、ちょっとした言葉かけをすると、親御さんや子どもさんの心がほぐれることも。「ちょっとした」ことなんですが。
全園児の登園を確認した後、私は職員室に戻り、各担任の先生が提出している「保育日誌」を読ませてもらいます。
2歳児のばら組から年長組まで7冊の日誌に目を通します。
私はこのひとときを結構大切にしています。
たっぷり1時間近くかけます。
昨日はどういう状況で一日が過ぎていったのか、どんな心弾むことがあったのか、担任を悩ますどんなことがあったのか、それらを担任はどのように受け止めているのか等々。
子ども達の成長の姿がよく分かりますし、各担任の保育士としての成長の過程もよく分かるのです。
『読まれることを意識して、きれいごとばかり書いてはならない。
困っていることはそのまま、できなかったこともそのまま書きなさい』と指導しています。取り繕った文面を書いてもほとんど意味はありません。
就学前の子ども達のクラスを担任していて、うまくいくことばかりあるはずがないのです。
保育日誌を読んだら、次はパソコンを開いて、園に来ているメールのチェックです。外部からの園宛のメールは全て私のパソコンに来ます。
その中で大切なものはプリントアウトして担当職員に回します。
各方面から1日あたり10件ほどのメールが来ますので、数日溜めているとたいへんな数になります。最近は怪しそうなメールも時折。
11時になると調理室から「検食」が来ます。
その日の給食を私が1時間ほど前に試食し、園児に食べさせてよいかどうかを判断するものです。
もっとも、栄養士さんがカロリー、塩分、食材のバランス等計算調整した上で調理されたものですから、今まで「ノーサイン」を出したことはありません。
これまでが午前中の園長の動きです。
昼休みを過ごしたら、各教室を覗いたり、来客の対応をしたり、次の週や次の月の活動や行事の確認をしたりします。
我が園は、通園バスを2台持っていますので降園時には園児の乗ったバスを見送ったりもします。
金曜日には、週1回の職員会議もあり、各クラスの様子を直接担任から聞きます。
これも楽しみの1つ。
それやこれやで、結局私は時計が5時を打つ音を聞いて園を出るようにしています。他の職員もおおむね5時過ぎには退勤しますが、最初に書きましたように、我が園は最長7時まで就労家庭の子どもさんを預かっていますので、遅出の職員が2人ほど残って最後の子どもさんをお迎えの親御さんに渡し、今日の仕事は終了という運びになります。
以上、認定こども園鳴鼓幼稚園の一日の大まかな動きと、私のさして大したことのない仕事ぶりを紹介いたしました。失礼します。
折々に思うこと その8
前号の最後に、今年甲子園で優勝した慶應高校について少し触れました。
尻切れトンボになりましたので、高校野球について少し話をさせてください。
高校野球と言えば丸刈りの頭が定番ですが、慶應高校野球部は、長髪の選手が多かったですね。監督さんによると髪型は自由だそうです。
丸刈りを希望する選手も少なからずおり、そこは各々選手の意思に任せているということです。
チームづくりのポイントとしては、監督さんの指示通りに動くのではなく、状況を自分達で判断して、その状況に対応したより適切なプレーを求め、最後は勝利を目指すというもの。
普段の練習内容も、まずは選手達で考え、監督さんと話し合ってお互いに納得して決めていくとのこと。
随分選手の自主性を重んじる学校だなと思います。
野球に限らずどのスポーツでも、試合の中で思わぬ状況が生じることが結構あります。
そういう時は選手だけの瞬時の判断が求められることも多いのです。
普段からの「考える」、「感じる」野球がこんな場面で生きてきます。
指導者の指示通りにしか動けない選手やチームはそこでつまづき、崩れていきます。
このような経験を積んだ選手達は、その後大学野球や社会人野球、またはプロ野球の世界に進んでも、自分で「考える」、「感じる」、「想像する」ということを自分の真ん中に置いて野球に取り組んでいくのではないでしょうか。
いや、野球は高校までと自分の中で決めている選手も多いと思いますが、彼らもまたその後の新しい世界で、自分で「考え」、「感じ」、「判断する」力を使って人生を切り開いていくことと思います。
少なくとも、人生でうまくいかなかった原因を、親や周囲の人達に押し付けて責任逃れをするような大人にはならないのではないでしょうか。
中学校や高校で一生懸命に部活動に取り組む意義の1つはこのあたりにありそうですね。
さて、話を幼稚園教育に移します。ちょっと固いですが、幼稚園には、園児が入園して卒園するまでに身に付けてほしいことを定めた「幼稚園教育要領」というものがあり、その内容は、ほぼ10年ごとに見直されています。
今回、新しく取り入れられたものの1つに「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」というものがあります。
例えば、『健康な心と体』、『自立心』、『協同性』、『規範意識』、『社会との関わり』、『言葉による伝え合い』等です。
そんな力が園児に身に付くの?という疑問もおありかと思いますが、そこは園児が育ってほしいレベルを想定し、繰り返し関わっていけば身に付いていく、というのが私の実感です。
園児達の吸収力、成長力、意外とありますよ。
私は、この「10の姿」を身に付けて(芽生えを身に付けて)卒園し、新しい集団の中で自分を出しながら小学校生活を楽しんでほしいと思います。
鳴鼓幼稚園では、「10の姿」が身に付いたかどうか判断できるように、具体的な園児の姿や行動に落とし込んで、本園の職員と保護者の皆さんにアンケート調査をしています。
これについては、調査の時期に詳しく述べたいと思います。
失礼します。
例えば、『自立心』では、「身支度(衣服の着脱、ボタンの締め外し)や諸活動の準備、後片づけを、大人の助けを借りずに自分でやろうとする」とか「跳び箱を跳ぶときに、最初は跳べなかったが、指導者から助走のスピードや手の付き方、体の傾け方などの教えを受け、何とか自分の力で跳ぼうと練習を続ける」など。
『社会生活との関わり』では、「友達や先生、地域の方々に進んで挨拶をする」とか「地域の小学生や中学生と楽しく交流したり、訪問した役場や図書館で、考えてきた質問をして、仕事の大切さやたいへんさを感じ取ったりする」など。
子ども達の日々の活動の目標に設定し、できつつある姿を認めていくということです。
こういうことを意識して子ども達に関わっていくことは、自分に自信をもっていくという「楽しくやっていたからよかったよね」で終わるよりも育ちの過程はよりはっきりとつかむことができると思います。
折々に思うこと その7
残暑が続きます。
鳴鼓幼稚園では、来る10月14日(土)に運動会を開催する予定です。
コロナ禍の3年前から運動会は午前中実施に切り替えました。
今年はどうするのか検討しましたが、日中の暑さが半端ではないこと、コロナが五類扱いになったとはいえ、まだ感染拡大の兆候が見られること、コロナ禍の間は鳴りを潜めていたインフルエンザが季節外れの流行状態にあること等を勘案し、今年も午前中実施にしました。
4月の「父母の会総会」でもお諮りしましたが、皆さんの多くが午前中実施に賛成でした(お弁当を作らなくてよい、という理由もあるのかもしれません)。
10月の後半には、子ども達が楽しみにしている「芋掘り」が待っています。
「芋掘り」は、畑の耕し→肥料の施肥→畝(うね)づくり→苗植え→雑草取り→蔓(つる)払い→収穫と一連の作業が半年余り続きます。
園によっては農家に委託して芋を育ててもらい、実ったころを見計らい、園児を連れていって収穫するというところも多いように聞きました。
しかし本園は、最初の畑の耕しから収穫まで、全ての行程を職員で行います。
かなりたいへんです。
私も園長になって初めて経験しました。
特にたいへんなのが、雑草取りと蔓はらいです。
ご存じの通り、世の中で一番たくましいのは雑草です。
取っても取っても、後から後から生えてきます。
ちょっと手を抜くとあっという間に芋蔓は雑草に取り囲まれてしまい、日が当たらなくなります。
真夏の太陽が照り付ける中、蚊の襲来に耐えながら、この憎らしい雑草を抜くのは「修行」ともいえるでしょう。
そして、手厚い手入れの結果、たくましく育った芋蔓を、収穫の前までに取り払ってしまわなければなりません。
鎌を手に一本、一本蔓を払っていきますが、中腰でやるものですから、30分もすると腰が痛み出します。
全部払うのに2日ほどかかりますが、翌日は歩くのも難儀するほどです。
でも、大きなお芋を、悪戦苦闘の末、土の中から掘り出して満面の笑みを浮かべる園児たちの姿を想像すると、大人たちは腰が痛くても、体に鞭打ってやるのです。
これが無償の愛でしょうか。
ところで、10月はスポーツのシーズンでもあります。
海の向こうのアメリカメジャーリーグでは、皆さんご存じの大谷翔平選手が右肘を故障して、シーズン終了を待たずに手術に踏み切ったようです。
大谷選手は、ここ数年、いわゆる「二刀流」の先駆者として、投げてよし、打ってよしの大活躍。
片方だけでもたいへんなのに、両方ともメジャートップクラスの成績です。
でも、スーパースターもさすがに人の子。
これだけ頑張ればどこかに無理が来ても不思議ではありません。
来シーズンは、右ひじに負担がかからないように打者に専念するとのこと。
しっかり治して、また「投げる」、「打つ」、「走る」の豪快なプレーを見せてもらいたいと思いますが、これはファンの欲目でしょうかね。
せかさず、静かに大谷選手のけがの回復と活躍を祈りたいと思います。
夏の甲子園でも「エンジョイベースボール」を掲げた慶應(けいおう)高校が優勝しました。
長髪の子ども達が、笑顔ではつらつとプレーする姿が印象に残りましたね。
折々に思うこと その6
残暑の中、2学期がスタートしました。
30年くらい前までは、9月も中旬を過ぎると、日中は、まだいささか暑いものの、蒸し暑さは薄らぎ、日陰に入るとひんやりとした風が吹き抜け「ああ、秋がやって来たんだな」と心地よい気分になったものです。
金木犀の甘い香りが漂い始める時季でしたが、その芳香も、今ではあと1か月程しないと味わえなくなりました。
ただこの残暑の中でも、彼岸花が田んぼや畑のあぜ道に咲き始め、緑と赤の鮮やかなコントラストをつくっています。
さて、鳴鼓幼稚園も、9月の活動計画に沿って回り始めました。
火曜日は年中さんが近くのスイミングスクールで水と楽しく戯れます。
年長さんは水曜日です。木曜日は、外部からの講師を招いて、全学年体育教室をします。
中旬には、8・9月生まれの子ども達のお誕生会。
各クラスが工夫を凝らした出し物で祝ってくれます。
そろそろ10月に行われる運動会に向けての練習も始まります。
その他時機をとらえた学年独自の制作活動等もありますので、結構多くのことをこなしています。
これらの諸活動や行事を通して、まずは少々の負荷には負けない健康な体をつくってほしいと思います。
健康な体は人生を生きていく土台です。
また、これからの生活で必要な生活習慣や技術(会った時の挨拶、感謝・謝罪の言葉、身の回りの整理整頓、箸の使い方、ボタンのかけ方・外し方、服の着脱の仕方等)を、家庭と連携して体得させたいと思います。
さらに、集団生活の中での自分の居場所の見つけ方、あの子と友達になりたいときの接近方法、友達とトラブルを起こしかけた際の折り合いの付け方等の知恵を身に付けてほしいです。
本園の先生達は、行事の目標達成とともに、上記の力を育てようと頑張っています。
実りの秋が終わる12月の終業式には、心身ともに一皮むけた姿を見せてくれることを期待しています。
ところで、私も、60数年前は園児でした。記憶にある私の自画像は、いつもハナを垂らしている姿。
垂らしたハナを制服の袖口で拭くものだから(ハンカチなど持っていない)、拭き取ったハナが乾いて袖口がキラキラ光り、ゴワゴワに固まります。
すると家で飼っていたウシ(当時は農耕用としてウシを飼っていた)が、長い舌を伸ばして私の袖口をやたらと舐め回すのです(ウシは塩分を求めていたらしい)。
幼稚園の昼は弁当でした。園に水道はありません。一応手は洗います。
園近くの川に走って行って洗うのですが、洗い場はかなり混雑します。
洗っていると、我先にと急ぐ後ろの子達からの圧で背中を押され、川の中にドボーン。
5,6回はそういう目にあいました。
園は、経営するお寺の住職さんの奥さんである園長先生と、若い独身の美人の先生の2人体制。
その若い先生にほのかな思慕の情を抱いていたと記憶しています。
少しませていましたか。
おおらからに育ててもらった幼年時代でした。
鳴鼓幼稚園のかわいい子ども達も、人に揉まれ、多くの体験を積み重ね、人としての確かな土台をつくってほしいと願います。
豊かな経験に勝るものはないようです。
折々に思うこと その5
去る7月14日に終業式を、翌15日に年長さん達の「お泊り保育」を実施し、第1学期が終了しました。
今、園は長い夏休みに入っています。
夏休み中も預かり保育の子ども達が毎日30名から40名ほど園で過ごしていますが、園舎の中は、いつもと比べると何となくがらんとした雰囲気です。
先生達も、各研修会に参加したり、夏期休暇や有給休暇を互いに調整して取ったり、自宅での自主研修で過ぎた1学期をじっくり振り返ってもらったりしています。
過去の一時期、「学校(主に小中学校を指すようですが)の先生達は、夏休みは授業もしないくせに給料はちゃんともらっている。
けしからん」という教師バッシングが、各県や市町の議会などで出て、夏休みが連日研修、研修で埋め尽くされるという事態が生じたようです。
免許更新のための集中した必修の研修も夏休み中に実施されることが多く、先生達の中からは「普段よりも忙しくなった……」という嘆きの声も出ていたことも耳にしました。
私は思います。
教育にはゆとりが必要だと。
ゆとりをもって子ども達の前に立てば、子ども達の姿がよく見えます。
浮かない顔をした子どもの心の中も推し量ることができます。
そうすると、1人1人に応じた関わりができるようになります。
そのことによって子どもは安心し、先生達は自信を持つことができます。
もちろん、教育基本法に『教育公務員は、己の使命に鑑(かんが)み、絶えず研修と修養に努めなければならない』とありますので、1学期の取り組みをじっくりと振り返ったり、来る2学期の準備を早めにしたり、また特別支援教育やクラス経営等の研修を受けて力を蓄えたりするには夏休みという長い時間は絶好の機会です。
ただ、その他の空いた時間は、夏期休暇や有給休暇等を効果的に取り、身と心(主に心)をじっくりと休めて、来る2学期のために充電をしてほしいものだと。
次々に新たな仕事が増え、だんだんと複雑で難しくなっている今の教育に携わる者にはぜひ必要なことでしょう。
「夏休みは授業もせずいいご身分だね」とか「恵まれ過ぎている」といった目ばかりで見ず、「今の世の中、先生達も何かとたいへんだろうね」という「ゆとりの目」で見ていただけないものかと思います。
社会全体が他者を思いやるゆとりを少しなくしてはいませんか?
聞くところによりますと、今、教師になりたいという若者の数が激減しているとか。
大学の教育学部を出ても、他の職業に就こうとする若者が増えているとか。
残念の極みです。多忙と煩わしさを避け、安定志向(安易志向)に走る若者を責めるだけで済むことではないように思いますが、皆さん、いかがでしょうか。
人を人として育てる職業に就きたい、子ども達と毎日腹いっぱい遊びたい、子ども達とともに自分も成長する教師になりたいという若者の夢やあこがれを阻害するハードルがあるとしたら、その高さを少しでも低くして、夢と理想に溢れた若者を教職の世界に導きたいものだと思う今日この頃です。
失礼します。
折々に思うこと その4
対馬の思い出をもうひとついいでしょうか。対馬には、日本人が大切にしてきた行事や催しがまだいくつか残っています。
春分、秋分時の光景もそのひとつです。
9月の「秋分の日(9月23日ごろ)」のことです。
私が住んでいた地区は、家庭の多くが漁で生計を立てておられました。
でも、この日は、一斉に漁は休み。学校の部活動も中止です。
皆さん、何をされるのかというと、家長の下に親族一同が集まり、まず先祖のお墓の掃除が始まります。
丁寧にお墓を拭き上げ、周囲の雑草を取り除きます。
きれいになった後は、お墓の前に茣蓙(ござ)を敷いて、みんなで会食です。
円座になり、亡くなられたご先祖を偲んだり、お互いの近況報告をしたりして懇親が続きます。
私は、「ここはいい催しが残っているなあ」と散歩しながら思いました。
家に帰ってくつろいでいると、玄関のベルの音。ドアを開けると勤務校の生徒です。
「よう、どうした」と私。「ばあちゃんが教頭先生に持っていけって」。
プラスチックの容器に大きなおはぎが4個。
「いやあ、ありがとうね」とお礼を言うと、お孫さんは恥ずかしそうに笑って帰りました。
頂いたおはぎたるや、厚みがあり、直径10センチ以上の特大サイズ。
甘いものも好きな私でさえ2個は無理です。
残りは冷蔵庫へ。
翌日、農作業をされているおばあちゃんに会った私は、「昨日はおいしいおはぎを有難うございました。
とてもおいしかったです」。
すると、おばあちゃん、「そりゃよかった。よかった」。
夕方、お孫さんが、またおはぎを4個持って玄関に。
重なるご厚意に感謝ですが、「まだ冷蔵庫に3個残っているよね……(私のつぶやき)」
さて、ここからは子ども達の楽しい声が響く鳴鼓幼稚園のお話です。
今回は園舎の立地について。特徴は、オープンなつくりです。
敷地は目の粗い格子状のフェンスで四方を囲まれていて、外からは園舎の概容や園庭がよく見えます。
子ども達が鬼ごっこをしたり、遊具で遊んだりしている様子を、時折外の道を通る住民の皆さんが、歩みを止めて、楽しそうに見ておられます。
子ども達の様子や園の雰囲気がそのまま伝わるのです。これは、何よりの園の紹介であり宣伝になります(園長はすぐ「宣伝」などという言葉を使いたがります)。
しかし、入り口は押せば簡単に開きますし、フェンスの高さも1.5Mほどなので、侵入するのは簡単です。
この問題にどう対処するか。
本園では、年間4回の避難訓練を実施していますが、そのうち1回は「不審者対応」です。
園庭で子ども達を遊ばせている保育士が、外から子ども達をじーっと見つめている怪しそうな人物を察知すると、低い声の合言葉で子ども達に危険を知らせ、子ども達は保育士とともに、静かにさりげなく園舎に避難するという、極めて地味な訓練です。
学年やクラス単位でも数回動きを練習しており、何気なく、さーっと潮が引くように動くことができるようにしています。
火事や地震ではなく、人の卑劣な行為から職員と子ども達を守るための訓練とは……。
何か割り切れない思いもしますが、みなさんはどう思われますか。
折々思うこと その3
最初は私事を少しお話しします。
私は最初から幼稚園に勤めていたのではなく、元々は中学校の国語の教員でした。
ご存じのように、長崎県は多くの離島を抱えています。
県の方針に、「在職中に必ず一度は離島勤務を経験すること」が明記されてあり、全ての教員に義務化されています。
私は45歳の時、九州と韓国の間にある対馬に赴任しました。
対馬は南北に長い島で、私の赴任校は、その最南端に近い全校生徒19名の小規模校。
対馬では4年間勤めましたが、本土の大きな学校ではできない、たくさんのことを経験しました。
例をひとつ。対馬では運動会は秋です。
学校の、というよりも集落に住んでいらっしゃる皆さんの運動会で、半分ぐらいは大人の種目。集落のほぼ全ての方が参加されます。
一大イベントです。
そして、多くのおじいちゃん、おばあちゃんがご祝儀(1,000円が多い)を下さいます。
それを受付で頂くのは新任教頭の私。
と、あるひとりのおばあちゃんが1万円札を出されました。
「これは頂き過ぎじゃないでしょうか?」と言った私に、そのおばあちゃん、「9千円お釣りばくれんね(9千円お釣りをください)」……ご祝儀を頂いておつりをくれ、と言われたのは初めてでした。
多くの強烈な印象を残した懐かしい思い出の中学校も、他の大きな中学校に統合され、今はもうありません。
さて、鳴鼓幼稚園は、2歳児が数名と年少組(3歳児)・年中組(4歳児)・年長組(5歳児)で合計100名ほど。
「健康な体と豊かな心をもった元気な子どもを、集団生活を通して育てる」のが園の目標です。
子ども達は幼稚園に来て初めて集団生活を経験しますが、集団生活を通して人との関わりを深めていくためには「ことばの習得」が欠かせません。
入園当初は先生から質問されたことに対して、首を横に振るか、縦に振るかの意思表示が多かった子ども達が、配慮された言語環境の中で、必要に応じて言葉の数を増やし、ことばの使い方を覚えていきます。
卒園する頃には、私たちとほぼ不自由なく会話ができるようになり、私たちの話を理解することができるようになっていきます。
ことばの育ちの例をひとつ。年長さん達と仲良くなった私は、2階(年長さんの保育室や広いお遊戯室がある)に上ってくるように誘われます。
上っていくと、お遊戯室に園児が1人いて、「園長先生、手をつなごう」と言うので、正対して右手同士、左手同士をつなぎます。
「しゃがんで」と言うので手をつないだまましゃがむと、カーテンの陰に潜んでいた他の園児が数名、突然私に体当たりしてくるのです。
手の自由を奪われた私が床に倒れると、その上に園児達が飛び乗って勝利宣言。
この園長攻略作戦には、①私を2階に誘う役、②私の両手の自由を奪う役、③私に体当たりしてのしかかる役等の役割分担が必要であり、それは計画に加担した園児達が集まって、リーダーの下にことばで確認されます。
ことばが強力チームをつくるのです。
「ことばの力恐るべし」ですね。
折々思うこと その2
山したたる季節になってきました。
朝早く、琴の尾岳への登山道を30分ほど散歩しますと、道の両側の、初々しい若葉をたわわにまとった木々の枝が、その重さに耐えかねるように、山道の方へお辞儀をしています。
周囲は若葉のむせ返るような匂いに満ちており、時折恋の相手へのアピールなのか、それとも縄張りの確認なのか、鶯の澄み切った鳴き声が、一定の間隔を置いて私の耳に響いてきます。この世に生きるもの全てが躍動する季節がやってきました。
中村(なかむら) 草田男(くさたお)という俳人の次の句が浮かびました。
(初夏、辺りの樹木が一面新緑に染まった中で、我が子に歯が生え始めた!)
3年間社会を振り回したコロナがほぼ収束し、世の中の動きがコロナ以前に戻りつつある中で、鳴鼓幼稚園も令和5年度の活動が始まりました。
本園では、4月1日から、園児も職員も基本的にマスクは外す、玄関前の消毒液も撤去する、できるだけの無言給食(黙食)も止める等の措置を取りました。
ただし、手洗い、うがい、室内の換気、水分の適度な摂取等には配慮しています。
新年度早々は市や県の幼稚園協会の総会や各種部会が多く組まれており、私も4、5月は週に1、2度会合に出かけますが、その中でマスクをしていないのはほぼ私のみです。
「あれっ、みなさん、いつからマスクを外されるんだろう?
3月13日(政府が、この日からマスクの着脱は個人の判断によるものとするとした日)でもない?新年度の始まりの4月1日でもない?5類に移行した5月8日でもない?」失礼ながら、この光景は周囲の様子見でしょうか(外す人が多くなったら外そうか)?それともまだコロナが怖い?はたまた、3年間のマスク着用に慣れてしまい、この方が世の中で身を処しやすい?まだマスクをされているみなさん、いかがでしょう?外すとスカッとしますよ。
ところで、新年度になり、多くの活動を仕組む中で、毎週木曜日の午前中は、外部から講師を呼んで「体育教室」を実施しています。
2階の「おゆうぎ室(保育室の2倍ほどの広さがある)」が会場です。
1クラス30分というあまり長くはない時間ですが、一生懸命の真剣さあり、うまくできるかの不安あり、講師得意のギャグ的お笑いありの、硬軟織り交ぜた中身の濃い活動内容です。
講師が工夫したさまざまな動き(種目)を通して、身体能力を総合的に伸ばすことができ、協調性や規範意識、友達への配慮等の社会性も養われていきます。
リラックスした雰囲気の中で、周囲の励ましでチャレンジ精神も身に付くとともに、運動技能が少しずつ伸びていくのが園児自身にも自覚できるので、子ども達にとって、1週間の生活の中で最も楽しみな活動の1つになっているようです。
年少さんのときは「鉄棒怖い……」と顔がこわばって尻込みしていた子どもが、年長さんになると、前回りはもちろん、連続前回り、足抜き回りから後ろ回り、最後はみごとに逆上がりを決めて卒園していきます。
自信満々の表情で。
そんな子どもの表情を見る度に、講師への感謝の気持ちと、園長としての幸せが私の心に湧いてきます。
折々思うこと
私は、お隣の長与町に住んでおります。
私の家の前の道は、「琴の尾岳」という山の登山道につながっています。
「琴の尾岳」は標高450M余りの山ですが、登山道はけっこう急峻で下から登ると息が切れます。
頂上からは、近くの鳴鼓岳、岩屋山、稲佐山、長崎港はもとより、遠くは雲仙普賢岳、有明海、諫早太良山系、大村湾まで俯瞰することができます。
登山道を登ると、15分程で「大毘沙門天王」と鳥居に掲げられた小さな神社に行き着きます。
私は鳥居の前で立ち止まり、神社に向かって一礼します。
そこを過ぎると15分程で「扇塚公園」と呼ばれる、なるほど扇の形に似た広場に行き着き、更にそれから20分程急坂を登ると頂上です。
若い頃は、週に1、2回は頂上を極めていましたが、最近は神社や扇塚公園までの往復が多くなりました。
長年慣れ親しんだ山道(舗装され車が通れるほどの道幅がある)ですが、1,2年前から1つの変化が起こりました。
近くに住む方(Sさんとしておきます)が、定期的に、竹ぼうきを持って山道を清掃しておられる姿を見かけるようになったのです。
長靴を履いて、バンダナを巻いたお洒落な出で立ちで、携帯ラジオのFMの音楽を鳴らしながら、ざっ、ざっと落ち葉を掃いておられるのです。
Sさんが掃かれた後は、山道には何も落ちていません。雑巾できれいに拭き上げた廊下のようです。
なんだか歩くのがはばかられます。
清掃中のSさんと出会った時には、「ありがとうございます」とお礼を言いますが、Sさんはにっこり笑って一言「いいえ」と返されます。
そのあっさりした態度に親しみを覚えます。
ただ、きれいに掃かれた道は、2、3日もすると、また元のように落ち葉だらけになります。
私など、その光景を見ると「掃わいたって一緒たい(掃いても結局同じことじゃないか)」と思うのですが、Sさんは再び竹ぼうきを持って、せっせ、せっせと仕事をされるのです。
特に落葉の多い4月から5月はその繰り返しです。
私は、そんなSさんの姿に何かを感じます。「尊い」といったらやや大げさでしょうか。
ところで、私が勤めている幼稚園でも似たようなことがあります。
幼稚園には園児用のトイレが1階と2階に2か所あります。
入り口には、スリッパが10足ほど並べてありますが、使っているうちに並んだスリッパは乱れていきます。
中には裏返しになったままのものもあります。
園では、きれいに並んでいる時の状態を写真に撮り、写真の上に「すりっぱをならべましょう」と注意書きしたものが掲示されてあります。
トイレは大人も共用なので、私も使用しますが、行くと乱れていることが多いのです。
でも時々はっとするほど整然と並んだ光景を見ることがあります。実に気持ちがいいです。
「整う」というのは人の心に「快」の感情を生むのでしょうね。
日本人は特に、という気もします。先日は、誰もいない中で、静かにスリッパを並べている1人の園児に出会いました。
思わず「ありがとう。うれしいなあ」と声をかけました。
その子はいい顔になっていました。
日々の生活の中でそのような場面に時々出会いたいものです。
園児の日々の活動を見る
アクセスマップ
※スマートホンでアクセスマップ内の「拡大地図を表示」をタップし、ナビ開始ボタンをタップすると当園までグーグルマップナビが自動でご案内致します。
園のご案内
園名 | 学校法人鳴鼓学園 認定こども園 鳴鼓幼稚園 |
---|---|
理事長 | 太田 達也 |
園長 | 山津 和則 |
所在地 | 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷19-1 |
電話番号 | 095-882-3133 |